Mahal Kita Walang Iba
Written by Ogie Alcasid
収録アルバム
Zsa Zsa Padilla
Mahal Kita, Walang Iba
2003,Viva Records
磨きがかかった"泣き節"。
その表情の,なんと慈しみに満ちたことか!
洗練されたアレンジも素晴らしい。
オリジナルは男性シンガーソングライターの Ogie Alcasid (2003)だが,この曲は Paul Williams の Traveling Boy (1972)のパクリだと思う。
フィリピンの音楽状況からして Art Garfunkel のヴァージョンから盗った,と考える。
Eto na naman ang puso ko
Tumitibok-tibok at mayroong binubulong
Tila mayrong nadarama
Umiibig na yata sa'yo, sinta
Kaya't sana'y pakinggan mo
Ako ay di nagbibiro
Sa puso ko'y walang katulad mo
Mahal kita, walang iba
Paniwalaan mo sana ako, sinta
Mahal kita, walang iba
Sa puso ko'y walang katulad mo
Mahal ko
At kung mayron kang nadarama
Sana'y wag nang itago, sinta
Pag-ibig na wagas ang alay sa iyo
Pangako ko sa iyo'y di maglalaho.
Kaya't sana'y pakinggan mo
Ako ay di nagbibiro
Sa puso ko'y walang katulad mo
Mahal kita, walang iba
(I love you, no other)
Paniwalaan mo sana ako, sinta
(Please believe me my darling)
Mahal kita, walang iba
(I love you, no other)
Sa puso ko'y walang katulad mo
(You're the only one in my heart nothing can compare)
Mahal ko
(My love)
最後のリフレインの括弧内はタガログの英訳
笑みを浮かべ夫に寄り添う豊満なマダム,それが2度目の結婚後のシャシャのイメージに違いない。
以前は,スキニーで涙目の,気の強そうな女の子。
彼女が体現していたのは自立した女性そのものだったのに。
シャシャ・パディーラは1983年にソロ・デビュー,21歳になる2年後にはもうクー・レデスマと並んでLux石鹸の広告モデルをつとめるなど,スターとしての足場を固めていた。
(因に,地方のバコロド市で下積みバンド時代を経験した9歳年上のクー・レデスマと同じように,シャシャもマニラでバンド時代があった)
当時,シャシャが,ジョー・フレージャーとモハメド・アリの3度目になる対戦,いわゆる灼熱の死闘"The Thrilla in Manila"のレフェリーをつとめたCarlos “Sonny” Padilla (俳優でスボーツマン)の娘だということは広く噂されていた。
そして1989年,実は彼女が既婚者(16歳で19歳年上の歯科医と結婚)で,今度は大物コメディアン-ドルフィに走ったというのだ。
ドルフィは36歳年上。
あの頃,「シャシャは金に目がくらんだのだ」とか「ドルフィはグレイトなモノの持ち主だっていうじゃない」といった罵評をマビニの女性達から聞いたことがある。
裕福な家庭に生まれた奔放なヒロインに対して世間が厳しいのは当然。もともと,フィリピンカトリックのもとでは婚姻は一生に一度の約束事,そして庶民は離婚を成立させることは容易ではないのだし。
時はうつろう。
十年をかけて離婚が成立し,ドルフィとの人生を歩む。
母となったシャシャはいかにも幸せ気に,レコーディング,映画出演を重ねて今日に至っている。
ときにはプロデューサーを兼ね,ステージに立つ。
実業家として慈善活動にも熱心で,誰が後ろ指を指すことがあろう。
May 28, 1964 - (age 47),Manila
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