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2026年10月19日月曜日

3の字カーブ - 1081号線の歴史 (Nan)

GoogleMaps ストリートビューの切り抜き


自分は何度か通過しましたが、撮影は未経験。
"3の字カーブ"はタイ人観光者にとって
ナーン県旅行のシンボル的スポットの筆頭で間違いありません。
日本人には不可解ではありますが。

表題のとうり、以下に
ネットでたまたま見つけた英訳資料をAI和訳しました。
読みやすいよう整えています。

共産革命軍との攻防については、
過去に"プーパヤック農場"のところで触れました。

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★ 共産主義をめぐる戦火の歴史を刻む場所
現在、ナーン県プア郡ルアン地区を通る国道1081号線
「3の字カーブ」は、注目を集める観光スポットとなっています。
全長約300メートルのこの道路は、両側を緑豊かな森に囲まれており、
上から見下ろすと、まるで数字の「3」のような
美しい形を描いています。サンティスックからボークルアへと続く
観光ルートにおけるハイライトの一つです。
しかし、この美しい景観の背後には、
人々の記憶から消えることのない、激しい闘争と銃声に満ちた
歴史が刻まれています。

★ 「赤い地域」を切り拓く(1967(昭和42年)~1982(昭和57年))
仏暦2510年から2525年にかけて、ナーン県東部の山間地域、
とりわけプア郡、ボークルア郡、チャルーム・プラ・キアット郡は
「共産主義勢力の活動地域」と見なされていた。
ここは、タイ共産党が活動を展開し、
強固な拠点を築こうとした戦略的要衝の一つであった。

「平和の構築と塩井戸を結ぶ道」(1081号線)の建設は、
単なる土木工事にとどまるものではなかった。
それは、地域を切り拓き、孤立した集落同士をつなぎ、
さらにはテロリストの補給路を断つための
「安全保障上の任務」でもあったのである。

★ 戦闘中の重機
「道路は未完成だが、銃声が先だ。」
南街道部隊の記録にはそう記されている。
ルートの確保に使われる重機(トラクターやダンプトラックなど)は、
頻繁に攻撃の標的となっている。
開放型車両を破壊するための地雷が埋設されていた。
作業員たちを見守る州警察の制服姿の人物。
道路工事関係者は、森林限界の先のどこから狙撃されるか
分からないため、常に武器を携行しなければならない。
初期のトレイル開拓の写真には、
機械設備と一緒に武器を運ぶ労働者や技術者が描かれており、
内戦時代の道路建設チームの危険と勇気を反映しています。





★ 平和への道しるべ (1981(昭和56年)〜 1983(昭和58年))
政府が「66/2523号命令」を発令し、
軍主導の政治体制を打ち出すとともに、
武装勢力(テロリスト)の投降を促す方針を掲げたことで、
ナーン県の情勢は大きく動き出した。
1081号線の建設工事が本格化し、
かつての戦場は、地域を結ぶ道路へと徐々に姿を変えていった。
仏暦2526年以降、この道路は現在見られるような形へと整い始め、
その後、アスファルト舗装が施されるとともに安全対策も強化されていった。

★ 第3カーブ――戦場からランドマークへ
今日、この「第3カーブ」は単なる観光名所にとどまりません。
ここは、山間地域の繁栄を切り拓くために
自らの力と命を捧げた先人たちを偲ぶ、「無言の記念碑」なのです。
全長:約300メートル。
所在地:国道1081号線、Highway 1081 Peace-~塩井戸区間。
特徴:上空から見ると、尾根に沿って数字の「3」のような形を描いています。
重要性:景勝地であり、山間地域のコミュニティを結ぶ主要なハイキングコースでもあります。
第3カーブで車を停め、写真を撮ったり景色を眺めたりする人々は、
この道が先人たちの血と涙、そして強い決意と引き換えに
築かれたものであることに、気づいていないかもしれません。

★ 興味深い評価
1081号線は、かつてナーン県において
「事故リスクが最も高い地域」に分類されていました。
村人たちは、トラクターが起こした轟音が、
遠く離れた村々にまで届いたと語り伝えています。
一部の道を指す「ロイ・ファー(loi fa)」という言葉は、
高い尾根沿いに続く険しい道が、
まるで谷間に浮かんでいるように見える様子に由来しています。
こうした道路が全面的に開通したことで、
「古代の塩井戸」から都市部へと塩を運ぶ作業が、格段に容易になりました。

★ 参考文献
道路局 — ナーン県における建設の歴史に関する文書
陸軍第3管区 — 北部地域におけるテロ情勢に関する報告書(仏暦2518年〜2525年)1975(昭和50年)- 1982(昭和57年)
首相府令第66/2523号
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2026年10月17日土曜日

プーカ村と焼畑 (Nan)

左側の長い屋根が学校だろうか


OM SYSTEM OM-1
M.ZUIKO DIGITAL ED 12-100mm F4.0 

Leica Q
(2023/7, Phuka Subdistrict, Pua District, Nan pref.Thailand)

たまにはナーンの焼畑風景を。
国道 1256の"スカイロード"と近年呼ばれることもある辺りの
途中の路肩から、泥道の作業道に降りたところから
パナーサワン小中校があるプーカ村集落が見える。
ドイ・プーカ国立公園内にあるプーカ村は、
14村からなる人口5千人弱の散居村。




1256 "スカイロード"
登り。

プーカ村は右側にある。

2026年10月13日火曜日

うさぎ寺 (Nan)


(画像はfacebookから借用)
以下は記事のAI訳

2026/10/11、
ワット・プラタート・チェーヘン王室寺院にて開催された
恒例のボートレースおよび供物奉納祭の一環として、
ナーン市のボート祝福の儀式が執り行われました。
僧侶、沙弥(見習い僧)、運営委員、住職、
各村からの参拝者、門徒、漕ぎ手、学生、
そして一般市民のすべてが、この重要な儀式に一丸となって参加しました。

ナーン市の中心街とはナーン川を隔ててある、
俗称 うさぎ寺、チェーヘン寺院で撮られたMusicVideoが次。
プーイ・ドゥアンポーン の公式 M.ビデオのひとつ。
2023年発表で、登場する美女は 2023 Miss Nan。

彼女は芸能活動はしていないので、"Kam"とだけ書こう。
MISS RMUT 2025 の準決勝まで残った。
(ジャマンガラ工科大学(RMUT)のミス・コンテスト)

Phra That Chae Haeng Song 
[陰暦6月の満月の日、プラ・タート・チェー・ヘーンを参拝する]
Pui Duangporn

2026年9月1日火曜日

ターワンパーのボートレース 8/30


タイ北部、ナーン県の主要国道(ハイウェイ)は
8/26に全線復旧を果たした。

洪水の後始末はまだまだかかるが、
ターワンパーのナーン川では恒例のボートレースが
8/30に開催された。

画像は全てフェイスブックから拝借しました。
https://www.facebook.com/CharmNanToday






 

2026年8月24日月曜日

Wat You (ターワンパー) の最近

OM1mkII+MD 8-25F4.0
(2025/7/26 Tha Wang Pha District, Nan)
Wat You

ユー寺。
次は最近上がった Youtube動画からの切り出し。
一年前のちょうど撮影地点ではなかろうか。

そこにコーヒーショップを建ててしまった。
なんと迷惑、と嘆くのは自分だけかもしれない。

これもタイあるある、だ。

お寺は、門を改修中。



※ ターワンパー地区は 2026. 8/19から 鉄砲水,洪水に見舞われました。
本トピックはそれより前に予約投稿しています。

2026年8月22日土曜日

サチュク村 7 - ボクーア 11 2025.7 「サチュク脱出」

7/24  15時頃
プーウェー山の雲がやっと晴れた。
下のほうに ウェーン村への道のカーブ


小屋が建つモンインモック・ホームステイのテラスから

正面の景色のなかに ウェーン村と繋ぐ"Ban Wen - Ban Pianso"道路が見える。

地滑り発生の知らせを受けてから、自分の意識は

サチュク,ピアンソーの方ではなく、ウェーン村へ出られるのは何時か? 

に向いていた。道路のようすを見に行くには、徒歩は遠すぎるし、

車を出してそこで動けなくなるのは絶対に避けたい。

耳を澄ませて、ウェーン村から車が上がってくるのを待っていた。

この盆地は粗末な数軒の家はあるが、ピックアップトラックは無い。

バイクは見たことはある。

夜になってバイクが1台ウェーン村のほうに走り去った。

そしてしばらく、車の走行音が聞こえて、ヘッドライトの光跡を眺めていた。

救急車が上がってきて、たぶん地滑りのこちら側にリレーされた

病人(けが人)を乗せて、来た道を戻っていった。

それきりだったが、ウェーン村までは通れると、分かった。

また、遠くナーン川対岸の村全域もこちら同様、停電だと分かった。

夕食は、昼の残りのトムカーガイ スープと傷まぬうちにと

大目の残りご飯をシーズニングソースをかけながら、

ゆで卵1ヶとともに食した。酒がない晩飯は何時以来だろう。 


7/25 朝

濡れた薪はオイルをかけようが、どうしても火が起こせない。

湯が沸かせない。(電気ケトルはあるが)

最後のゆで卵2ヶ+フルーツを朝食とする。今日こそ出立と、

ゆっくり支度をしているうちに、バイクが道路を上がってきたので

呼び止めた。政府機関に詰めている二人のうち、上司の方だった。

「1081はボクーアはダメだが、たぶんファイコンへは行ける」

と言うので、決まりだった。

部屋は片づけるものもないが、食器を水盥に漬け、

メモ書きを置いて12:54に出発した。ウェーン村への峠を越えたら、

道を塞いでいた木をチェーンソーで切断した場所があった。たったこれだったのか....。




ナーン川の橋を渡るまで、人を見ることがなかった。

気を引き締めて、1081を右へと北上する。ピアンコ村のナーン川橋 13:07、

ごらんのような土砂崩れが何ヶ所かあったが。

それから始まる1081の上り坂は難所はなかったが、

ファイコンにさしかかる村が30cmほど水に浸かっていたが、

もう厳しい箇所は幸いなかったのだ。

101、ファイコン-トゥーンチャン稜線道路の
たっぷり2車線の下り道
白の中央線がまだひかれていない

チャルームプラキアットの稜線を越えてトゥンチャーン郡

ポーン村のナーン川の橋ではじめて車を停めた。上流方向を写す。15:09  

3日前に寄ったスタンドで給油。覚えていてくれたお姉さんに事情をグチる。

そういえば、スマホのグーグル・マップが働いている。

16:30 プーアの定宿にいつもの如く予約無しでチェックイン。

いつもの居酒屋で カナムーグローブ、ガパオ・ナッツ飯、

ビアリオ2本で330TBH。21時就寝。


※ 2026.8.19未明からの、Pua地区の鉄砲水、洪水は

21日から次第に落ち着いてきています。次の動画は 19日のものです。

https://www.youtube.com/watch?v=MmwS8Vl5uLo


2026年8月15日土曜日

7/24-26.2025、ナーン市の洪水

7/24 ナーン市

7/24 ナーン市 ワットプーミン横の 国道101号

7/25 ワットプーミン正面の広場

7/26 ナーン市 テワラート通り
Phukha Nanfa Hotel 前

自分は 7/25にサチュクのホームステイを脱出して
北回りでプーアにたどり着くのだが、
7/24-26のナーン市の洪水のようすを
後に facebookの投稿写真で知った。

7/23にワ川橋の食堂で話したバンコクの女性旅行者は
ウェーン村のホームステイに泊まった次に予約していた
サパンの宿に移る機会を伺っていたが、
ファイコン経由(1081-101号の北回り)なら、
ナーン空港が近いのでは? といったボクの問いに、
「それでも (101号は)ターワンパーが洪水でしょ」と答えた。

彼女らは結局そうせざるを得なかったはずであり、
101号ターワンパーは 7/26には復旧していたし、
なんなら迂回してナーン市へ向かうことも出来た。
ナーン空港は市内から遠くはないが、冠水はなかった。
無事、帰宅は出来た、と思う。

2026年8月10日月曜日

ナリヤラン


2017.10
Mae Rim, Chiang Mai, Thailand
Queen Sirikit Botanic Garden
シリキット王妃植物園

2026年8月9日日曜日

コチョウラン




2017.10
Mae Rim, Chiang Mai, Thailand
Queen Sirikit Botanic Garden
シリキット王妃植物園

2026年8月8日土曜日

サチュク村 6 - ボクーア 10 2025.7

7/24 6:50起床。曇り空に小雨がパラつく。
ネット繋がらず、停電もそのまま。
朝食の配達がないまま、部屋を片づけ、
出立の支度をしていたら、10時ごろ、従業員の青年が
食料を担いで現れた。
地滑りが起こったことを知らされる。
彼は
ホームステイ敷地のどこかから乾いた材を探してきて火をおこし、
湯を沸かしてくれた。
暖かいカップヌードルの朝食とする。


青年が、また徒歩で帰っていく。
初日、追加のマンゴーを採ってきてくれた、
オーナーの右腕のような男。
地滑りの現場を乗り越えて来てくれた。

砂利道を挟んで、政府機関がある。

カップヌードル 1カートン、
炊いたご飯、
夫人手作りの トムカーガイ(ココナッツミルクのスープ)
と ロッテのカスタードケーキ1箱
水ボトルはまだここにあった。


独りぼっちを慰めるかのように、
空を旋回していた エグリゴマダラ♂が小屋の前に来た。

青年によると、ホームステイから舗装道路に降りて
右手、橋のあたりで大きな地滑りが起きて、
車が通れない。
ウェーン村への林道も、不通とのこと。

その後
政府機関の青年と立ち話したが、ウェーン村へ出られないのは
確かのようだった。(後に倒木が道を塞いだ、と分かった)
いまは動かないで、ようす見だ。



2025.9、復旧後

2026.3、最近
何者かが、大きな落石の腹に"ワットプーミンの壁画"を描いた。


地滑り直後のようすを伝える....
モンキリーダオ・ホームステイ (ピアンソー村)
facebook上は 7/30の書き込みが最後だった。
7/30に通信が復旧した、という意味。

お客様には大変ご迷惑をおかけし、誠に申し訳ございません。
7月22日夜より道路、電気、インターネットが遮断されており、
まるで孤島に取り残されたような状況です。
外部との連絡が全く取れない状態です。
できる限り早くご返信いたします。


以下、関係機関の発表。
1車線開通は 一ヶ月以上経った 8月25日だった。

Road up to Ban Piang So (Huai Khiao). 
The road clearing machine can move normally now. 
1 traffic lane. 
25/08/2025

土砂崩れにより孤立したのは
 Khunnan, Chelim Phra Kiat, Nan. 
Impossible to move 100%.
被害を受けた村は、
バン・ピアンソー、バン・フアイフォン、バン・サチュク、
バン・サキアン、バン・ブアクオーム、バン・フアイトゥーイの6村です。

政府は被災地の苦境を緩和するため、ヘリコプターによる食料支援を行っています。
29 July 68/2025


自分の場合は、まだ不幸中の幸いだった。
モンインモックではなく、上のピアンソーに泊まっていたら
帰国便に全く間に合わなかった、のだから。

2026年8月7日金曜日

コウトウシラン


コウトウシラン
Spathoglottis plicata

ラン科 Orchidaceae
コウトウシラン属 Spathoglottis

2017.10
Mae Rim, Chiang Mai, Thailand
Queen Sirikit Botanic Garden
シリキット王妃植物園

2026年8月5日水曜日

ナガバオモダカ

ナガバオモダカ
Sagittaria weatherbiana

オモダカ科 Alismataceae

アメリカ原産の帰化植物で、湿地で見られる。

2017.10
Mae Rim, Chiang Mai, Thailand
Queen Sirikit Botanic Garden
シリキット王妃植物園

2026年8月4日火曜日

アゼナ科の花


アゼナ科 Linderniaceae ?

園内の雑草だろう。

植物園の周りの風景。
今なら、 墓地だろうと分かる。

2017.10
Mae Rim, Chiang Mai, Thailand
Queen Sirikit Botanic Garden
シリキット王妃植物園

2026年8月2日日曜日

ドンパヤー峠 北

左上奥の平らなところが
自分が勝手に "ドンパヤー峠"と読んでいるサドル。
向こう側が ボーユアック地区で、ワ川の橋に下る。
手前側が サワ地区。
ずっと長い坂を下りきるとサワ盆地だ。

あの坂のどこかでまた地滑りが起きた。

黄緑と右下斜面は陸稲、
左下はキャッサバ。

2022.10

2026年8月1日土曜日

サチュク村 5 - ボクーア 9 2025.7

7/23/2025、5時起床。
夜中は激しい雨がトタン屋根を打ち付け、よう眠れず。
今朝になって雨は弱まっている。
昨夜まで使えたスマホがネットに繋がらなくなった。
8:30、オーナーがお粥とゆで卵を届けてくれた。
昨日の900TBHに足りない ビール代160TBHを払って、お別れする。
10:15やっと出発。
宮殿ではないが、プーファのホームステイを予約している。

ウェーン村の学校前のナーン川。

ビューポイント真下のホームステイは片づけ中。

さて、昨日も来たワ川橋から先は通行止めだった。
昨日すでに、そうだったらしい。


あの Wang Num Wa restaurant/homestayで
ようすを聞く。
橋を渡ると地図にあるチィアンドーワー homestayがある。

バンコクからの旅行者のスマホを写す。
昨日起きた地滑りを北側から撮っている。
ドンパヤー峠の北側はよくこれがある。

が、復旧は意外と早いのが常と覚えている。
重機ですくい上げた土砂は谷側に捨てるだけだから。

(7/26午後-7/27 に開通した由)

サパンの宿を予約しているという女性客グループはやがて
今日は諦め、ハイエースのロットゥーに乗り込んで戻っていく。
偶然後をついていったらウェーン村ビューポイントのあの
小屋に再チェックインするようすだった。




自分はモンインモックに延泊すべく
またナーン川の橋を渡るのだが、そこの小屋で休憩中の男たちに
声をかけてみると、ついさっき現場が開通した、とケータイを
差して言う。
ランチをとったりして、あれから1時間以上は経つので
期待半分で戻ってはみたが、ガセだった。
おまけに傘を差して撮影していたら、
レンズが結露してしまっていた。
ぐじゃぐじゃ..である。


ワ川橋上から東側。
右手奥に1軒、ホームステイの屋根。


モンインモックの扉は、自分が閉じたときのままだった。

スマホが繋がらないので、電話が使えない。
向かいの政府機関のゲートを潜ってみる。
"クンナーン流域管理ユニット"は 2人しか常駐していないが
幸い作業中の青年がいて、事情を説明した。
その後、オーナーが来てくれて、延泊は叶った。

わざわざサチュク集落までバイクを走らせ、家を探して連絡を
とってくれた青年と同僚を労うのにラオカオ1本下げて
オーナーは事務所に消えた。

オーナーが届けてくれた夕食は
玉子チャーハン,大粒のラムヤイ+ランブータン+チャングビール2本。
ビール代とで1泊分1,000TBHを支払った。

18:45、それまで、ときどきだった停電が完全にとまってしまったが、
この一日を思えばたいしたことでもない、と諦めたが、
夜中に近くの道路で、地滑りは起きたのである。