2013年4月16日火曜日

Lubo-5


詳しくは知らないが、日本の奨学金制度によって
タブックの大学に通っている"ユニース"。
上は妹で、ボクのことを聞きつけて
二人で顔を見に来たのだ。
彼女らは近しいファミリー。葬式の参列ではないが、
ボクを慰めようとしているわけで、この夜、
夕食に招かれ、彼女らの手料理の接待を受けた。痛し痒し。

この娘も近所に住まいする、ファミリーの一人。
ファミリーでない人々は、挨拶は交わすが、
ボクから2,3歩下がって、距離をおいてくれる感じ。

フィールドで乾燥した籾を、家に運び、脱穀する。
Luboでは女性の仕事なのかな...

コーヒーは米と同じ臼と杵で豆からパウダーに加工される。
何度も何度もゴミを振るい落としながら、打つ。

E-5+ZD14-35
(2013/04,Lubo, Tanudan, Kalinga,Philippines )

ファミリーに受け入れられた以上、襟を正さねば、
と緊張したのは本当だ。
買い物とか、細かいことからでも。
何かを仕出かせば、ファミリーが恥をかいたり、
あるいは、リベンジの的になるかもしれない。
それは、日本を発つずっと前から考えていた。

Luboの各家は Comfort Roomを持っておらず、
公共の施設で用を済ます。
一方、この一家はゲストのためだけの
トイレとシャワールームを他の2家と共有し、管理している。
家族でも、特別な理由がない限り、使えない決まりだ。
ゲストはその都度、どちらかの鍵を借りて
近くにあるそこへ出かけ、使用するが、中は毎日、
ホスト側によって清潔に保たれている。
これがボクをどれほど感心させたか!

カリンガはとうに発った。旅は終わろうとしている。

ボントックのメイン通りを歩いていて、
話しかけてきた米国人が初対面でないと、
だんだん分かって互いに驚いた。
カリンガ・ティングラヤンに2年以上も住む彼が、
"Lubo"へ行ったのか!...自分は良く知らない、と言う。

ボクはまた幸せを感じ、既に Luboを懐かしんでいる。