2010年1月22日金曜日

浅川マキ / それはスポットライトではない -2

 埋まった客席。幕の陰で出を待つ彼女。
 小柄の,黒いドレスの肩が丸かった。
 コツコツ,舞台の中央へ遠ざかるヒールの靴音。

 カラオケで歌った短かなワン・ステージ。
 スポットライトに浮かぶ無数のホコリと半逆光の浅川マキ。

 記憶はそこで止まってしまって,何を,何曲歌ったのかも思い出せない。
 舞台袖で付き添ったボクは,ステージに送り出すまで,そして迎えたときも,濃いまつ毛に隠れた彼女の瞳を見た気がしない。

 それは,たぶん 1972-3年のこと。


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 浅川マキについて考えると,"アンダーグラウンドの女王"ではなくて,上京するまでの彼女のバックグラウンドに思いが及ぶ。
 「北陸の片田舎の役場の年金係の若い女が、ふらりと歌を歌いたくなり、村を出、東京に出てくる」といった経緯ばなしではピンとこないのだ。

 浅川マキは,高卒後に町役場に就職。だが,早々に辞めて東京に出た。
 彼女が通ったのは県下有数の進学校。北陸本線の美川駅から金沢駅へ。そこから高校行きのバスに乗る。といっても,3年の通学は単調なものではなかった,に違いない。

 手取川の河口を見て育った彼女が金沢市の高台の校舎から眺めた犀川の流れは,ことに女性的に映っただろう。下校は,片町の繁華街でバスを降りて,映画館の看板の前で立ち止まったり,級友が話題にする ビートルズや反戦の旗手PPMを横目に,もっと赤裸々なポップスのシングルやブルーノートの25cm盤や様々な洋楽のLPを選って見ていたかもしれない。アービング・バーリンからロッド・スチュワートまで耳を傾けカバーした後年の活動の根っこが,その頃にあるのでは,と想像する。

 浅川マキは歌手としてだけでなく,作詞作曲家として,自らを客観視するプロデューサーとして活動を続け,多くの録音を世に残した。ボクが共鳴するのは,暗さ・明るさを突き抜けた解放感のある歌唱である。


浅川マキ - オールド・レインコート&ガソリン・アレイ (1971)
http://www.youtube.com/watch?v=apb7cPTbBhA




 最後に"棚つま"です。
 YouTube のよりも音は良いです。作者のひとりジェリー・ゴフィンによる録音。作詞面でより仕事をしたと思われる人。
 Bメロの2行目,"candlelight"と書かれることがありますが,"camera light"と歌っています。キム・カーンズもロッド・スチュワートも camera light ですね。




 












Gerry Goffin/ It's Not the Spotlight

収録アルバム
Gerry Goffin-It Ain't Exactly Entertainment (1973) Adelphi
CDは廃盤

 さて,「富山メンズクラブ」の元メンバーの皆様。いつかこれをお読みになったら,是非メールを下さい。
 富山市公会堂の舞台に浅川マキが立ったあの自主企画について,思い出を聞かせて下さいませ。
 ボクはメンバーではありませんでしたが,従兄(K筋)に誘われ,手伝いをしていました。ビートルズ映画の上映ではプラカードを持って中央通りを一緒に闊歩していました。そこでは,たぶん最年少のガキでした。