2016年1月16日土曜日

富崎の牧場

GR DIGITAL IV (2016/01/14 ,Toyama, Nippon)
ポジフィルム調JpegをPS仕上げ

富山県の畜産試験場。

畜産試験場について,勝手とはいえ
いささか言うことの
理屈がボクには,ある。

八尾町千里から山田川谷へ突き抜ける
トンネルが開通して,
千里側にポイント的に,
つまりそこしかいなかったギフチョウの生息地は一掃され,
チョウは今いない。
そこそこボクが観察してきた土地なのではある。

さて,富崎の牧場はその道路やトンネルを
眼下にする北側の丘に広がっている。

...............

母方の叔父の川筋伊三郎,

戦中から畜産業界では
ニワトリの雛の雌雄を識別する技術者として
そこそこ知られる人物だった。
県外にも知られていた人だった。

戦後の食料難のとき,
畜産試験場は(富山市)笹津にあって
母達は川筋伊三郎を頼って
笹津に疎開したようなふうだったらしい。

羊肉やチーズがしばしば食卓に上がった。
それがどれほどの幸運だったか,
説明することは,いまは止そう。

時は自然に,流れるがままに過ぎゆく。
川筋の家は,ボクを感化した。

凧揚げやアカトンボ狩り,
そして Beatles の米国上陸をほとんどリアルタイムで
紹介してくれた清博 従兄,
富山メンズクラブが背景にある。

だが,いまボクを揺さぶる思い出は
伊佐務(いさむ) 従兄についてだ。

昔のことだから
いっそう引き立つ。
はしょれば,
富山県立中部高校で野球部のエース,
ハンサムで偉丈夫,
後は東北大学工学博士。
長年のウランの研究が災いしたのか,
天が定め,
 ALS を発病,
10年ほどの闘病生活を経て
年の暮れに先立った。

頭の中を占めるのは,今の母のことばかりではない,
その母が涙を止められなかった....
伊佐務ちゃんの,長年にわたる見事な
あまりに見事な人生の幕引きは
衝撃だった。

伊佐務ちゃんは,
始めから終わりまで,
ボクには,見上げるだけしかない人だった。